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ㅇㅇ(211.54) 2022.01.08 05:48:31
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子フェンリルの日常6

 前回のあらすじ。何だかんだで深夜にフェンリルさんの部屋に遊びに行きました☆


 フェンリルさんの部屋に、ココリスが来ているみたいだ。

 子フェンリルは窓の下で耳をピンと立てる。


「元気になるまでしばらく放っておいてやんなさいよ。あっちは幼児で成人するまでの時間はまだまだ長い。焦ることもないでしょう」

 と言うココリスの声。そして湯を注ぐような音がする。お茶でも入れてるの?

「むろんだ。私も姫の身体を案じている。我が姫こそ我が命‼ 姫より大切なものがこの世にあろうか」

 いや山ほどあんでしょう。肉とか肉とか肉とか‼


「まあお嬢様も言って聞く御方じゃありませんがね。全くフェンリル族ってのは……」

 ぶつぶつぶつぶつぶつ。今度は幼児に矛先向けてきたよ。

 ハーフエルフ。あんた人のこと攻撃してばっかだけど、自分だって大概たいがいだからね⁉

 ツッコミを入れたいが入れられぬ。しかしどうしよう。大事なお話なら帰ろっかな。ここまで来て?

 けど何の話をしてるんだ? 私に関する話らしいけど、もう本題は終わったっぽいし……。

 子フェンリルは窓の下で迷う。わ、足を滑らせそうになった!

 よく考えると、私、めちゃくちゃ細い足場を伝ってきたんだな。ひゅう、と風に吹かれて今さらながら怖くなる。


「ああ、姫、我が姫……あなたの姿を一目見たい……」

 と、靴音がする。こっちにちょっと近づいてくる。

「いや昼間会ったでしょうが。今は令嬢邸でぐっすり寝てますよ。大人の男なら安眠妨害せず寝かせてやるもんだ」

 大人の男でなくとも、普通、幼児の安眠を妨害する奴などいない。

「だがプロミスタ。姫も私と会えず不安でいるだろう。姫の敬愛を受けるにたる大人の男ならば、請われる前に馳せ参じるものだろう」

「その思考パターンで毎度嫌われてるんでしょうが。全く――」

 そしてパキッと割り箸を割る音がした。

 ……割り箸? うん。今のパキッは間違いなく割り箸の音だった。

「ああ、姫……我が姫、会いたい……」

 靴音。そして私の真上に、公爵閣下の端正なお顔が見えた。本当、悔しいけど顔だけはいいんだよな、フェンリルさん。


「姫……――――ん?」


 視線を落とした公爵閣下と私の目が合う。はーい、来ましたよー。

 窓の下のへりに、ギリギリでバランス取っている子フェンリル。

 ここは三階。人間の建物の三階よりもっと高さがあり、下は真っ暗である。


「…………」

 公爵閣下は数秒沈黙し、そーっとそーっと私に手を伸ばす。

 私はいつもの癖で反射的に避けようとし――足を滑らせた。

 だが落ちる!と思ったときにパシッと陛下が私を手の平に治めた。セーフセーフ‼

「………………」

 さすがは公爵閣下。冷静だ。彼は軍服の中に私を突っ込むと、身を翻し、大股で室内に戻ってからバタンと窓を閉める。

 ドッドッドッドッと、珍しく閣下の心音が早鐘を打っていたが。

「ん? どうしたんすか先輩。真っ青な顔をして」

 ココリスの声だ。そして子フェンリルの鼻に大変、良い匂いが届いた。

 子フェンリル、鼻をもそもそさせた。陛下の軍服のボタンとボタンの間からちょこんとお顔を出す。


 カップ麺だ。

 スーパーやコンビニで見慣れた、だが剣と魔法の異世界では決して見ることの無い――逆さ円錐台型ジャパニーズ・カップヌー🌕ルが書斎のテーブルの上に置かれている。

 今し方、その横の砂時計の砂が落ちきったところだ。

 それを確認したココリスは、口に割り箸をくわえたまま、いそいそとフタを開けた。立ち上る香ばしい匂い。

 割り箸が麺を持ち上げた。ズズーッと麺をすする、おなじみの音。


 ――ハーフエルフが深夜にカップ麺をすすっている。


 この上無く世界観が崩壊してるのに、メチャクチャ似合っているのはなぜだ。

 驚きで口を半開きにしていると、視線に気づいたのかココリスがこっちを見た。

 子フェンリルとハーフエルフの視線がしばしかち合う。


「……チッ」


 舌打ちされた。舌打ち‼

 元の世界だって、出会い頭の相手にここまでの侮辱は受けたことがなかったぞ‼


「先輩……何すか、その子」

 ココリスは非難めいた視線を上官に向ける。

「外壁の突出部を伝って、私に会うためにここまで上がってきたようだ。危うく落下するところだった。嬉しいが久しぶりに肝が冷えた」

 落下するとこ? いやそんなことないでしょうよ。確かに足を踏み外したけど。

「姫。ダメだ。二度と。絶対。私に会いたいときは。呼ぶ。人を」

 まだ動揺してるのか、昼間の疲労が尾を引いてるのか、閣下はカタコトだった。

『だって、あちこち通行止めだったし、見つかったら怒られると思ったし』

 子フェンリルはヒラリとテーブルに下りて、カップ麺をふんふんと嗅ぐ。

「落ちて地面に激突した方が怒られるでしょうが! 全くあなたはいつもいつも後先考えなしに――」

 肘で子フェンリルをどけながら、ココリスは汁をすすっていた。


『ココリス、何でそれ食ってんですか』


 他に聞きたいことがあった気もするが、まずはそれだ。

 再度私を捕まえようとする閣下の手を、右に左にコロコロ回って避けながら追及する。

「何でって超過労働に対する、魔王陛下からの支給品ですよ。あんたの世界の高価な軍用食なんでしょ?」

 いや軍用食というか日常食なんですが……。あのクソ魔王。いつどうやって仕入れたんだ。私にも下さいよ‼ たまには食べたいし‼

 それにしても過重労働の労ねぎらいがカップ麺。しかも正統派の醤油味でもファンの多いカレー味でも無く、割と好みの分かれるシーフード味(偏見)。

 だがココリスはそれは美味そうに食べている。汁を最後まで飲み干し、

「分かってますよ。異界の品は魔族世界こっちじゃ禁制品だ。ゴミはちゃんと処分するから安心して下さい」

 とか言って、暖炉に容器と割り箸を放り込む。豪快な処分法だ。だがメラメラと燃えていくカップ麺の遺骸を見て、ココリスは珍しく名残惜しそうにしてる。

「あんたの世界、こういうのが毎日食べられるなんて良いなあ。こっちでも作れないんですか? あの即席乾麺」

 現地人に現代知識を求められた! だが私は知識チート派ではない。タンポポコーヒーとは無縁なのだよ。

『無理無理。限界がありますよ。第一あれだけ開発と普及に時間のかかったカップ麺を素人が安易に再現しようものなら、どれほどの抗議が来ることやら』

「……抗議??? どこから?」

 言うな! 聞くな‼


 ともあれ、普段塩対応の私が会いに来たのだから、ロキ閣下は、それはそれは嬉しそうだった。

「姫、愛しの姫、あなたの愛がどれだけ私を――」

 はいはいはい。私は閣下の手の中で撫でくりまわされる。

「だが姫が私のところに泊まりに来るなど、今日はどうしたのだ? 何かあったのか?」

 いや泊まりに来たわけでは――あ、背中がまたムズっとした。そうだ、背中についてるゴミ?を取ってもらわないと。

『閣下、私の背中に何かついてませんか? さっきからくすぐったくて』

 私がそう訴えると、閣下はうなずいて、背中の毛をもぞもぞ探った。そして程なくしてサラッと言った。


「ふむ。チクリグモがついているな」


 ――――は?


 私はあんぐり口を開ける。閣下は指先で背中についたモノをつまむ。同時にくすぐったさも消失した。閣下は私を抱っこしたまま窓まで行くと、窓を開けて宵闇の中にピンと何かをはじく。

 数ミリの点のようなものが暗闇に消えるのが見えた気がした。


「先輩、吸い跡は? 子供だと後でチクチクすることもあるようですよ」

 ココリスに言われ、閣下は私の背中の毛を慎重にかき分け、

「跡はないな。恐らく、ついたばかりだったのだろう」

「それは何より」


 え……? は……? チクリグモ? マジで? そんな……危険なモノが……公爵邸に……。


 子フェンリル、猛烈な速度で小刻みに震え始めた?

「? 姫、どうしたのだ?」

「お嬢様?」


 二人の男性が怪訝そうにするが、私はここに来た目的も、カップ麺も、二人がさっき話していた内容も、何もかも忘れてしまった。


『いやあああああああああー‼』


 子フェンリルの凄まじい悲鳴が公爵邸に響き渡ったのであった。


 …………


 閣下は、部屋に押し寄せた使用人さんメイドさんたちに説明していた。

「問題無い。心配ない。姫は私を慕うあまり単機で公爵邸に侵入したのだ。

 そして私に会えた嬉しさで錯乱して悲鳴を上げてしまった。姫は私が看病する。ご苦労だった」

 どう聞いても不自然極まりない(あと若干引っかかる)説明だが、皆さん帰宅前で色々お疲れなのか『はあ』『そうですか』と言って三々五々に解散してしまった。


 その間にココリスはソファに座り、私を落ち着かせている。

「どうどう。はーい息を吸ってー。そう、大きく深呼吸深呼吸」

 子フェンリルはココリスの脇の下に頭を突っ込んで、ガクブルと震えていた。

 閣下はドアを閉めて、足早にやってきた。

「姫、いったいどうしたのだ? そんなにクモが怖いのか? だがもう大丈夫だ。ちゃんと外に逃がしたし――」

『何で殺さなかったんですか‼』

 と、私はまくし立てた。私の剣幕に、ココリスと閣下は顔を見合わせる。

「何故と言われても……潰せば手が汚れるから姫も嫌がるだろうと」

『そんなこと言っている場合じゃ無いでしょう! チクリグモですよ⁉ かつて村を三つ無人にしたというあの‼』

 子フェンリルがキャンキャンがなり立てると、閣下は首をかしげた。

 私の大げさすぎる反応を不審がっているようだった。

「??? プロミスタ、そんなことあったか?」

 すると筆頭宰相は眼鏡をクイッとあげ、

「『かつて』というか先週の話じゃないですか? 閣下が騎士団を出す許可印を押されたでしょうが」

『せ、先週⁉』

 エルさん、昔の話と思わせといて実は先週の話だったの⁉

 子フェンリルは恐怖で失神寸前だった。ココリスは私の背をポンポン叩きながら閣下に、


「ええ。先週、チクリグモが増えて難儀していると、辺境の三つの村から訴えがあったので――」


 調査団が集団苗床現場を発見したシーンが脳内に再現される‼

 公爵邸の外に! 濃硫酸のヨダレをしたたらせるチクリグモの群れがー!

 悲鳴を上げる寸前だった子フェンリルを横に、筆頭宰相は続ける。


「村民が一旦村の外に出て村を無人にして、村のあちこちにチクリグモ除けの香を焚いた。

 香が浸透してクモがいなくなるまで一昼夜だったか。その間、黒狼騎士団が村と村民を警備して――」


 は? 子フェンリルがピタリと止まる。すかさず閣下が私を抱き上げ、喉をくすぐる。いやー。


「ああ、そうだったな。その後駆除には成功したのか?」

「ええ。三つの村全てで駆除成功。村民は全員無事に村に戻り、騎士団も城に帰還しましたよ?

 そのことがどうしたんですか? お嬢様」


 え……は……?


 子フェンリルの瞳に浮かぶ狂乱を見て取ったか、ココリスはクイッと眼鏡をあげた。その眼鏡が不気味に光る。


「お嬢様。もしかして、エルニエッタ先輩から何か聞いたのですか?」


 …………


【チクリグモ】

 民家から森林まで、魔族や魔獣がいる環境なら大抵近くに生息している虫系魔獣。巣や群れは作らず、日中は草木の影に潜んでいる。

 近くを魔族や魔獣が通ると、サッと飛びつき口吻こうふんの先にある吸盤で魔力を吸ってエネルギー源とする。

 その際の吸着行動は通常は微細な違和感として感じられるが、子供では稀にチクチクする痛みを訴える者がおり、それが『チクリグモ』の名の由来となっている。

 吸う魔力は微量のため、チクリグモによる魔力疾患や死亡例は報告されていない。

 害はないが季節や気候により集落で大繁殖する場合があり、その場合は一昼夜クモ除けの香を焚いて散らす必要がある。


 ――【第五魔王領魔獣大全Ⅲ】より



 要約。チクリグモは魔力をちょこっと吸うだけの害の無いクモです。増えれば普通に追い払えます。


「――それだけの話なのに、よくもまあ、そこまで話を盛れるもんだ」

 私から全てを聞いたココリスは、ソファに寝そべり天を仰ぐ。


「……くく……っ……ははっ……くははははっ!」

 閣下は珍しく大受けだった。笑い方が悪役っぽいが。


『うおああああおああおあおあおあおあ‼』


 かかなくていい赤っ恥をかいた子フェンリルは、怒りで七転八倒しながら室内をグルグルする。

 そして閣下にひょいっと抱き上げられた。

「姫、姫。笑ってすまなかった。あなたはこちらの世界のことをほとんど知らないのだ。エルニエッタの話を信じ切ってしまうのも無理は無い」

 うっさい‼ 爆笑してたくせに‼

 子フェンリルが怒りでかみかみするが、閣下は嬉しそうだった。


「だが子供が本気で怖がる話は少々やりすぎだ。崩落箇所の多い公爵邸に深夜一人で来るのも危険な行動だった。明日、イナリアを通して抗議しておこう」

 公爵邸を危険な場所にした張本人はあなたでは。

 でもなだめられ、子フェンリルはやっと気を取り直してもぞもぞする。ココリスはため息をつき、


「エル先輩は優しそうに見えてトリッキーなところがあるんですよ。

 学び舎や時代のあだ名は『混沌さん』だったっけか」

 然しかり然しかり。

「今後、エル先輩の話は話半分に聞いておいた方がいい。イナリア先輩と同じ環境で育って、なんで妹だけああなったんだか」

 ですよねー。

「…………」

 ロキ閣下は、思うところがあるのか遠い目をしていた。



「じゃ、俺はこれで帰ります。先輩、お疲れっした」

「ご苦労だった、プロミスタ。ゆっくり休め」


 そして子フェンリルの相手に疲れた筆頭宰相が帰り、室内二人きりになったのだった。



 で、さっきココリスと閣下は何の話をしてたんだ?

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